「塚田農場」ブランド発祥の店となる《塚田農場 1号店 八王子店》
若手を起用し子会社化する狙いはどこに──
エー・ピーホールディングスが模索する新たな飲食企業のカタチとは?
APHDを支えるグループ会社・若手3社長が語る
三社三様の個性的な業態で
グループ本体を盤石にする
エー・ピーホールディングス(以下APHD)はこれまでに多くの繁盛店経営者を輩出してきており、人材の裾野は広く底力は大きい。しかし、「APHDは最近おとなしい」と見る向きもある。2023年1月18・19日に開催された「居酒屋JAPAN2023 東京」では、APHDを支えるグループ会社の社長を務める若手3人が、APHDの長所や働く上での利点や企業マインドの好きな点、今後の展望を本音で語った。その模様を紹介する(本文中の数値や役職などはセミナー当時のもの)。
パネリスト
AP Restory
代表取締役社長
本間 裕太さん
●ほんま・ゆうた●
北海道出身。エー・ピーカンパニー(以下AP)へ2011年新卒入社、12年目。11年《塚田農場》にて店長、SV、マネージャー、部長代理など最大20店舗ほど管轄し、17年に新業態の宮崎県アンテナショップ《くわんね》事業責任者を務める。19年、現在の管轄である《焼鳥つかだ》や《希鳥(きちょう)》などのマネージャーを経て21年より現職。
AP B.CUE
代表取締役社長
田中 裕大さん
●たなか・ゆうた●
北海道出身。2011年AP新卒入社、12年目。《塚田農場》やホルモン事業部長、マーケティング本部長、北海道塚田農場本部長や業態開発担当などを経て21年より現職。
リアルテイスト
代表取締役社長
田久 翔太さん
●たきゅう・しょうた●
千葉県出身。2012年AP新卒入社、11年目。《塚田農場》勤務を経て鹿児島県の《塚田農場本店》へ。産地共有研修、生産者と現場をつなぐパイプ役として尽力する。16年《塚田農場》エリアマネージャー、18年《塚田農場》城南事業部部長を経て、20年より現職。
【コーディネーター】
エー・ピーホールディングス
執行役員魚事業本部 本部長
横澤 将司さん
●よこさわ・まさし●
《塚田農場》《四十八漁場》で、1次産業から携わる垂直型の飲食モデルを構築した先駆的存在。居酒屋業態がメインの上場企業では珍しく、鮨を始め高級業態へのチャレンジも始めるなど、これまでのノウハウを活かし、新たな飲食業の在り方・可能性を果敢に模索する。2023年11月1日付でエー・ピーカンパニー代表取締役社長を兼任。
「うちは終わっていません、むしろ始まっていません」…横澤さん
地鶏を炭火で一気に焼き上げた《塚田農場》の〈地鶏炭火焼〉
横澤将司(以下、横澤) エー・ピーホールディングス(以下APHD)は最近大人しいな、と思っている人も多いと思います。コロナ禍で大変だった、良くも悪くも目立ちすぎる、アンチが多い──どれでしょう。まあ全部ですね。
そんな感じで地下に潜伏していたAPHDですが、優秀な卒業生が多い上に次々と優秀な若手が育っていますという話と、「APHDが目指す新たな飲食企業のカタチとは?」というタイトルで進めていきたいと思います。ここに登壇した皆さんの年齢は33~34歳でほぼ一緒です。
エー・ピー(以下AP)と聞いて何をイメージしますか。外の人に聞いてみると「卒業生がすごいよね」と言うんです。それは本当でそれぞれ結果を出して、この3人を筆頭にその他も多数独立して大成功しています。
嬉しくもあり悔しくもありという感じですが、昨年2022年に1つの事件がおきました。同年1月20日開催の「居酒屋JAPAN東京」のセミナーに、ミナデイン代表の大久保伸隆さんを筆頭にマニアプロデュース代表の天野裕人さん、BeDREAMERs代表の高瀬久夫さん、マイルデザイン代表の綱嶋恭介さんが、AP卒業生の同窓会のような形で登壇し、会場も大盛り上がりでした。
その時の質疑応答タイムで「APってもう終わっているじゃないですか」と、とんでもない質問が会場から出て、大久保さんが当たり障りなく返したという話なんですが、私は当時、新型コロナに感染していたため聴講できませんでした。後でそのことを人づてに聞き、今日はぜひ直接話したかったんです。ということで、APリベンジャーズを始めます。
22年にタイムリープすると、APの国内海外合わせた外食部門は約180店舗です。ほとんどが「塚田農場」だったんですが、今は「塚田農場」は86店舗ほどで、そのほか海鮮や中・高級業態、海外事業などのウエイトを増やしています。
例えば東京・五反田の居酒屋「ヤオヨロズクラフト」は、新潟県南魚沼市にある酒蔵の八海山が製造しているクラフトビール〈RYDEEN BEER〉を扱った専門店です。他にも「立ち寿司横丁」という大ヒットしている立ち食い寿司業態など、マルチブランド化して時代に合わせて変化している最中です。
そこに「感情移入文化サイクル」という、生産者という第一次産業との深い関係性から生まれる感情移入を踏まえてSNSとリアルで交互に情報発信し、お客さんへの新たな高付加価値の提供と食材のブランディングを行うことで、地域の産業の活性化に貢献できるというサイクルを15年続けています。
コロナ禍を経て自社を振り返った時に、第一次産業者との深い関係性とストーリーを持つ産地直結の食材が私達の強みであると実感しました。これまでは薄利多売で来ましたが、ある程度の価格を取っていくためには専門店の深化が必要ではないかと考え、寿司専門店や焼き鳥業態をブラッシュアップさせたところ、いいスタートを切ってヒットしています。
おいしい理由を軸に経済的利益を担保しながら社会貢献をする。今でこそCSV経営などといわれていますが、実は当社は15年前から取り組んでいました。つまり存在そのものが社会貢献の企業です。
というわけで、今日は1年越しの正式な回答として、「うちは全然終わっていませんよ、むしろまだ始まっていません!」と最初に言いたかったんです(笑)。では本間さんから自己紹介をお願いします。
本間裕太(以下、本間) AP Restory代表の本間です。新卒で11年にAPHDが当時APカンパニーだった時に入社し、「塚田農場」に配属されました。その後1年で店長になりSV、マネージャー、部長代理を務め、新規立ち上げも含め20店舗ほどに約6年半携わりました。
その後産地とのつながりで宮崎へ行く機会もある中、東京・新宿にある宮崎県のアンテナショップを20年ぶりにリニューアルしてレストランを作るという話があり、「くわんね」という店を立ち上げました。
1店舗の飲食店を楽しみながらメニューやサービス戦略を考えたりと、飲食人として色々な経験をさせてもらい、焼き鳥事業をはじめ6業態8店舗のマネージャーを経て今に至ります。
田久翔太(以下、田久)リアルテイスト代表の田久です。私は新卒4期でAPカンパニーに入社しました。1年ぐらいして、鹿児島の新規店舗に行くか「塚田農場」で店長をやるかどちらがいいかと聞かれ、若かったのもあって「鹿児島に行きます」と答えました。
当初は店を立ち上げて半年で帰るという話が1年になり2年になり、結局3年間鹿児島で店長を務めました。そこで「感情移入文化」というものを肌で感じ、東京に帰ってきてからは現地の農家の話を研修用にまとめたり、池袋や新宿エリアのマネージャーを務めたり神奈川県の「塚田農場」も管轄していましたが、コロナ禍に入った際、急に代表から呼ばれて「来月からリアルテイストの社長だよ。おめでとう」と無茶振りがあって(笑)成長を実感しました。現在は3年ほどリアルテイストを運営しています。
田中裕大(以下、田中)AP B.CUE代表の田中です。僕は本間さんと同期でAPカンパニーに3期で入社しました。「塚田農場」の経験は半年ほどで、その後はずっと「塚田農場」以外のブランドを担当しています。
コロナ禍の少し前にマーケティング本部と事業部を兼務し、あとは新店や大箱の立て直し業務をメインで行い、コロナ下で現職に就きました。メインはホルモン業態や生産者が付いていない業態の担当です。
横澤 私はAPHD執行役員で魚事業を担当しています。魚事業とは「四十八漁場」や「なきざかな」、最近できた高級寿司など魚全般を扱う業態のことで、若手が続々とグループ会社の社長になる中、私は相変わらずうだつの上がらないまま(笑)執行役員に収まっています。
岩手県陸前高田市出身で高校卒業後に自衛隊に入り、ヘリコプターの整備などを担当していましたが向いていないと感じ、役者になったら今度はたくさん借金を作って首が回らなくなるなど、色々と向いていない中で飲食店はそこそこいけたので何とか食わせてもらっています。
「焼き鳥に特化して食のあるべき姿を追求していこう」…本間さん
AP Restoryが運営する《焼鳥つかだ 中目黒店》
横澤 では本題です。どういう事業をグループ会社で行っているか、特徴や取り組み、規模などをそれぞれがプレゼンし、その後パネルディスカッションで本質的に深掘りしたいと思います。
本間 うちは11年にAP Restoryという名前でグループ会社化した、焼き鳥業態に特化した会社です。もともと中・高価格の焼き鳥事業からスタートしているので、焼き鳥の「トリ」とレストランの「レス」を付けて造語しました。
頭にAPを付けたのは、APの想いを背負った上できちんとスタート地点に立ちたかったからです。また、読み替えると「AP Re story」となり、今までの先輩や独自業態を通した土台があってこその私達だと思っていて、歴史と土台の上にAPの新たな物語を作り上げていきたいという想いを社名に託してスタートしました。
内訳は焼き鳥店を12店舗、4つのブランドを運営しています。ひと口に焼き鳥といっても客単価の幅が広く、さまざまな利用シーンで色々な人に楽しんでもらえる会社です。大衆居酒屋系のブランドは「やきとりスタンダード」と「若どり屋」。ミドルブランドの「焼鳥つかだ」、「焼鳥 高澤」、「焼き鳥 すず喜」、高級ブランドの「希鳥(きちょう)」です。
大衆向け業態のコンセプトは「誰でも毎日のように通え、気軽に焼き鳥を楽しめるお店」で、客単価は2500~3300円ですが、炭火で焼いた焼き鳥を提供しているのと、焼き師の育成というのが肝になっています。
《焼鳥つかだ》で提供する焼き鳥
「焼鳥つかだ」は「塚田農場」を経験した上で、腕のいい焼き師をトップクラスに配置してそこを目指すようにしたり、ワイン専門に携わりたい人が働くなど、飲食人としての新しいステップアップの場としてもいいと思います。
「焼鳥つかだ」のコンセプトは「大人の入口」です。18年3月に1号店を東京・中目黒に立ち上げました。2号店は渋谷に「塚田農場」の業態変更という形でコロナ禍に入ってすぐの20年6月にオープンしました。このブランドは高級店(レア)より下で大衆店(マス)より上の位置というレアマス戦略を取りつつ、地鶏の強みを生かした焼き鳥で勝負しています。
また、チェーンに飽きた人や業態の変わり映えしない郊外エリアに、個人の名前を冠した個店の本格焼き鳥を──ということで、22年、都内の橋本に鈴木大輔さんが運営する「焼き鳥 すず喜」を、八王子に高澤錦弘さんが運営する「焼鳥 高澤」をオープンしました。業務委託という形でローリスクミドルリターン、頑張ればハイリターンに稼げる仕組みです。これは今後も展開していきたいと考えています。
最後は客単価9000~1万円の「希鳥」。宮崎や鹿児島に捌きの子会社があるので、そこにリクエストしながらその日最高のものを仕入れ、ワインなどと共に楽しめるようにしました。昨年、3人の社員がソムリエ資格を取得し、それらの武器を磨きながら「塚田農場」の強みも生かしています。
APグループでの食のあるべき姿という中で、私達は焼き鳥に特化して食のあるべき姿を追求していこうと。社会課題や使命感から生まれた事業も通じて、APグループだからこそ実現できる焼き鳥の世界を、どう突き詰めていけるか挑戦しています。
当社には今は25~26人の社員がおり、8割以上が焼き鳥職人や職人候補で、焼き師がしっかり育つ環境なのでさまざまなスタートラインとなっているのと、店舗運営という視点を培えるポジションになっています。
「マルチブランドの利点活かし1つのメインを構築へ」…田中さん
AP B.CUEが運営する《芝浦食肉 池袋東口店》
横澤
では次、田中さんお願いします。
田中 私は社内で一番心が弱く、会長からよく乙女と呼ばれています(笑)。
横澤 風貌とのギャップがすごいよね(笑)。
田中 AP B.CUE全体で今13店舗を運営しています。元々私はホルモン居酒屋の「芝浦食肉」や「関根精肉店」などホルモンの大衆業態におり、あとはリアルで北海道の帯広や札幌エリアを担当させてもらい、そのままホルモンのチームと一緒にコロナ下に経営切り離しで会社を運営することになりました。
メインブランドは3つあり、1つ目の「芝浦食肉」は「背徳の内臓」というポジションを狙っています。あとは食堂と火鍋ですが、メインブランドが大衆酒場という、ずっと下降し続けている市場のレッドオーシャンのブランドなので、レストラン業態をコロナ下に出していこうと、「日式火鍋」の新業態「裏の山の木の子」を打ち出しました。また「つかだ食堂」をリブランディングして豚汁店にしました。そのほか、焼肉業態も運営しています。
横澤 「つかだ食堂」のコンセプト「希望の衝動」の希望とは、どういう意味ですか。
田中 展開の見込める可能性が最も高いんじゃないかという事で希望と付けました。
横澤 〈豚汁〉を磨き上げて、食堂として展開性があると。
田中 メインブランドは卸がどこで商売しているかによって名前が変わりますが、内容としては各々の部位をメインとして打ち出しています。実は「塚田農場」よりも全盛であったブランドで、AP内では歴史のある業態です。
《芝浦食肉》の名物料理〈鉄板焼き大とろホルモン〉
ホルモンや焼肉業態はレッドオーシャンですが、その中でもホルモン市場を分析していくと、串に刺している〈焼きとん〉を出す店、七輪で焼くホルモン店、モツ鍋店、この3つで市場の70~80%ぐらいを構成しています。うちはホルモン専門の居酒屋なので、メイン商品以外の料理も基本的にはホルモンで構成してニッチな領域を探している業態です。
いずれもザ・大衆居酒屋で、ほとんどが居抜きの古い店舗で、基本的には路面店戦略で動いています。うちの場合、本間さんのように焼き鳥を突き詰めていくというよりもニッチポイントを担当していく方向性です。
うちの役目はAPが手を出していないセカンドラインを構築していくというところだと思っています。また会長に「お前はB級を担当していろ」と言われていたのが長かったので、社名に「B」を採り入れました。
最終的なミッションは本間さんと同じく私もAPを冠につけさせてもらっており、APHDと同じ「食のあるべき姿を追求する」です。マルチブランドの良さを発揮し、1つの担い手になれるようにということで社内ではエトセトラ事業部と呼ばれることが多いため、そこから1つのメインが出てくるような方向性にしていきたいと思っています。
「串揚げや鉄板焼きで空間づくりと季節感に注力」…田久さん
リアルテイストが運営する《串亭 恵比寿本店》
横澤 次は田久さん、お願いします。
田久 リアルテイストは06年に設立され、17年頃にAPグループに加わりました。当時は創業メンバーがいましたが、私が引き継いで3期目になります。今の社員は約40人、アルバイトは1店舗につき10人で、100人程度の組織です。
メインブランドでは串揚げ専門店「串亭」を全国展開しており、関東では8店舗、地方では愛知・名古屋と福岡・博多の2店舗を出しています。また東京・人形町に「二平」という鉄板焼き店を運営しており、ここはもう15年ぐらい続いています。
大事にしているポイントは、社名にもなっている「リアルテイストとは何か」ということと、本物の食事やおもてなし、空間づくりというところにかなり手を入れていて、串揚げ業態なのでカウンター席がメインではあるもののテーブルや個室もあり、どんなシーンでも対応出来るような空間にしています。
《串亭》ではフォアグラや牛ロースなどの高級食材を串揚げにする
APグループに入ってからは年間6回ほどメニュー変更し、季節感と農家とのストーリーをちゃんと入れられる商品開発に随時取り組んでいます。出店は商業施設やある程度集客力のある場所を狙っています。飲食フロアを一巡りしたお客さんが「串揚げもたまにはいいね」という需要が多いです。
単価については老舗は1万円するような店が多い中、うちは6000~6500円で、居酒屋よりは若干高いもののまだ普段使いできるかな、という価格設定にしています。季節感を重要視しているため、通年で人気のメニューと旬の食材を組み合わせて串揚げにして提供しています。
また、○本いくらという店が多い中、うちは何を食べても1本300円というのが特徴です。この仕組みが儲かりどころというかとてもいい仕組みで、〈おまかせ〉は基本的に店のおすすめをどんどん出していきます。お客さんがストップと言うまでずっと出しますが、大体10本超えてくるとかなり粗利の高いメニュー構成にしています。
食べた時の印象がすごく大事なので、最初に黒毛和牛やエビなどメインで食べたい物を出しながら季節物を織り交ぜていく感じです。もちろんこの串だけが食べたかったという人もいると思うので、〈おまかせ〉が終わったらリクエストに随時応えています。来店者の7割と初めて来た人は、まず〈おまかせ〉を注文します。
店舗は20~25坪前後で席数は50席ぐらい、カウンター、テーブル、個室を全部用意し、月商800万円ぐらい売れれば利益が出るようなブランドです。
「社長になり決断量が変わり全て自分ごとな緊張感」…本間さん
横澤 皆さんそれぞれ全然違う性格で全然違う業態を担当していますが、APHDに入社して今何年目でしたっけ。
本間 12年目です。
横澤 田中さんも12年目で、田久さんが11年目ですね。各社が異なる成長をしているので、そこを深掘りしたいと思います。まず、社長になって何が変わりましたか。
田中 業務内容はそんなに変わっておらず、1業態だけでない業態開発やそこからの展開という点に焦点を合わせるようになり、先のことをより考えるようになったというマインドが最も大きく変化しました。
横澤 業務は変わってないけれど生活は変わったんですか。
田中 生活もそんなに変わってないですね。
横澤 生活が変わってないということは、給料も変わってないってことになっちゃうから(笑)。
田中 その辺の変化はありました(笑)。
横澤 田久さんはどうですか。
田久 社外からの見られ方が変わったと思っています。社内で行っていることはあまり変わらないので。
横澤 事業部長から社長になったわけですから、その点は一番変わりやすいでしょうね。本間さんはどうでしょう。
本間 自分の中の変化としては決断の量ですね。右に行くのも左に行くのもどうするか決めなくてはならず、ホールディングスとも連携しながらRestoryの状態も考えていかなければいけない。
横澤 なるほど。どういう点で成長できたと感じますか。
本間 全てがより自分ごとになり、一つひとつが全部自分に返ってくると思ってやっている緊張感は成長になっていると感じます。
横澤 でも皆さん、1事業部として業務を担当している頃より、経費や修繕といった出費に対して厳しくなっていますよね。
田中 そうですね。田久さんも社長になりたての頃に急にPL(損益計算書)からBS(貸借対照表)に変わったと、すごく騒いでいた時期がありました。
横澤 やはりそれが社長業というものなんでしょうね。天野さんもあれだけPLなど関係なかったのが、独立した瞬間に数字にすごく細かくなりましたもんね。
では、このコロナ下で何をしていましたか。
本間 休業中にうちのメンバーが講師役となり、焼き鳥を焼いたことはないが調理には携わってきた「塚田農場」の社員などに焼き鳥の焼き方を教え、焼き師が社内から輩出されることによって展開性が出るように注力しました。
テイクアウト・デリバリーでは、今も「焼鳥つかだ」の中目黒店はコロナ前にはなかった売上として月100万円近く稼げています。
横澤 価格帯にもよりますが、コロナ下に何人ぐらいの焼き師を育成できましたか。
本間 20人近くは輩出できました。候補も含めるとさらに増えると思います。
横澤 じゃあ予算さえあれば展開させてほしいですね。田中さんは。
田中 私は1年半で「裏の山の木の子」をはじめとした4つの新業態を立ち上げました。最初の1年は資金繰りに注力し、立ち上げ準備であっという間の2年間でした。
横澤 田久さんはどうですか。
田久 すごくシビアな話なんですが、どうしたら給付金を最大限もらえるかなど、そんなことを調べていました。またうちは元々研修をしてこなかったので、技術向上研修を実施しました。ランチから通しで営業する業態なので、休業中は人が成長する時間としてすごく役立ちました。
横澤 飲食業は良くも悪くも目立ってしまい、営業自粛要請期間はこそこそと営業もできないから、しっかり休業することも必要ですね。客数の回復が一番早かったのはリアルテイストだったのではないでしょうか。その意味でAPHDを牽引してくれました。